冬に水シャワーでも我慢して浴びるほどの強迫性障害
いきなりあなたに質問です!
ある日、お湯が使えなくなりました。
でも、まだ入浴を終えていません。水だけは使えます。
あなたは、風呂をあきらめますか?
それとも水でも我慢して入浴したりシャワーを浴びたりしますか?
・・・たぶんだが、ほとんどの人は前者を選ぶだろう。
ポットの湯などを使ってタオルをしぼり、からだをふいたりすることで済ますと思う。家族もそうすると言っていた。
だが私は違った。
そう、冷たいシャワーを浴びることにしたのだ。
<話の流れ>
ちょうど灯油切れでお湯が出なくなった
わが家は、灯油の力でお湯が出るようなシステムになっている。
しかし先日、私が入浴しようとしたときにちょうど灯油が切れ、お湯が出なくなってしまった。
水しか出ない。
普段、あまり湯船にはつからないため、すでに先に入った人が落としてしまっていた。というか、湯が張られていたとしても、潔癖症の私は一番風呂以外入ることができない。
というわけでこの日、あきらめるか水シャワーにするかの二択にせまられた。
私は「水シャワー」を選んだ!
潔癖症という強迫性障害を持つ私には、「あきらめる」という選択はなかった。ポットの湯を使ってからだをふくという方法もちょっと思いついたが、私には無理だった。
というわけで、この寒い時期に、水シャワーを浴びる決意をした。
とにかく、からだや頭を洗うまではベッドに上がれない。それすなわち、熟眠できないことを意味する。それはイヤだ。私は寝たい。だから水シャワーが必要だった。
水シャワーを浴びれば、死ぬほど寒くなることは想像に難くなかった。
案の定、死ぬほど寒かった!
水でからだと頭を洗ったのだが、いやはや、案の定、死ぬほど寒かった!
からだが凍えただけでは済まなかった。冷たくて感覚を感じなくなるほどジンジンしたし、鼻水も出てきた。疲労感が半端なかった。
着替えてベッドに上がってからは、あまりのダルさでそのまま寝落ち。
翌日もからだがダルく、眠気に襲われ続けた(薬の副作用もあるけどね)。
だから精神がおかしいのです
何が言いたいのかというと、これは病気だということ。
たぶん、あのまま水シャワーを浴びずに清拭だけで済ませても、特に何も起きなかっただろう。それでウイルスまみれになることもないだろうし、ベッドが特段汚れたわけでもない。別に平穏に過ごせたはずだ。
にもかかわらず、私はわざわざ過酷なほうを選んだ。
岡本太郎が過酷なほうを選択しろと言ったからそうしたわけではないw
私の意思で、わざわざ水シャワーを選んだしまったのだ。
洗わないと気が済まない。
きれいにしてからでないとベッドに上がれない。
ベッドに上がれないのであれば睡眠をとることができない。
水シャワーにはリスクがある。
からだが冷えて免疫が落ちた可能性がある。風邪を引く可能性もあった。そして心臓とかにも負荷かがかかっていたに違いない。年寄りなら死んでいたかもしれない。
そんな水シャワーを選んだのは、やはり強迫性障害由来の観念が邪魔をしたからであると思っている。
親に話したら、親からはこう返ってきた。
「普通なら水シャワーは浴びない。そこで水シャワーを選んでしまうのは、やっぱり強迫性障害なんだね」
・・・私もそう思う。
改めて自分が強迫性障害なんだなと自覚できた瞬間だった。
この世の中、強迫性障害で悩んでいる人は少なくないと思う。
今回の話が、そういう人にとって何かしらの参考になったのであれば幸せだ。
私の最近の治療経緯としては、ちょうど先日、フルボキサミンを増量し、服薬治療を強化したところ。そして、日々の生活の中で、何か目標をつくって、みずからの意思で改善していくようにとも言われている。
でも、このまま良くなるかどうかは自信がない。
医師によると、このまま良くならなければ、そのうちカウンセラーによる認知行動療法を受けることになるとのことだった。
私の強迫性障害は、もはやアイデンティティレベルまで固まってしまっていると思うので、早くその認知行動療法を受けてみたいとは思っている。