「心配事の9割は起こらない」ってマジ??
メンタリストの DaiGo さんが、何かの動画でサラッと「心配事の9割は起こらない」と言っていたので、その言葉を聞いて以来、やけに印象に残っている。
彼が口にするということは、おそらく何らかの根拠があるのだろうと思い、今日、ようやくググってみた。
そしたら、なんと、僧侶である枡野俊明さんによって広まった言葉だということが分かった。というか、下記の本を出されている。
⇒ 心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 (単行本)
私はまだこの本を読んでいないので、どういう根拠で「心配事の9割は起こらない」と述べられているかは分からない。
2013年初版であるが、非常に気になるので、速攻でポチった。
だが、非常に良い言葉だ。
日頃、何かにつけて「もし〜〜〜だったらマズいな」とか「いつか××が起こったらどうしよう」と考えてしまうものだが、「心配事の9割は起こらない」と考えてみると、スッと肩の力が抜ける。
そして過去を振り返ってみると、なるほど、たしかに心配事の9割は起こってこなかった気もする。体感的には、9割というか、もっと高い割合で起こっていないような。。あれこれ考えて準備した割には「へ?案外すんなり済んだな」と拍子抜けしたことも、何度もある。
でも、人生というのは死ぬまでだから、死ぬまでの長い目で見たときに、結果的に9割に収まるようになるのだろうか。人生のどの部分を切り取っても、ほぼ9割で安定しているのだろうか。
まあともかく、9割は起こらないのだから、クヨクヨしたって無駄だよね♪
ただ、ひねくれている私は、こうも考えてしまう。
9割起こらないのは、ひょっとしたら、起こることを想定して対策を練ったり、リスクヘッジしながら行動をとったりするっていうのも大きく関係しているのでは?と。
もし対策等を怠ったら、心配事が起こる確率はどう変動するのだろうか。
また、逆に捉えると、心配事の1割は起こってしまうわけだ。あまりに楽観的に生きたら、いつか痛い目を見るのではないか?とも考えてしまう。
こういうのはネガティブ思考であるがゆえ、幸福度の観点から見たら、不幸な人間なのかもしれない。だが、数学的に考えたら 真 である。
もしかして、悟りの境地に達すれば、その1割は何か別のものとなるのだろうか・・・!?
・・・本が届いたら、早速読んでみたいと思う。「心配事の9割は起こらない」の根拠が書いてあるかは分からないが、少なくとも、枡野さんがそう思うようになった経緯みたいなものは書いてあるだろうと、勝手に期待している。
そして、その言葉をどう解釈し、今後どのように仕事やプライベートに活かしていけば良いか、何かしらのヒントを得ることができれば幸いだ。
私も含め、日本人は生真面目で心配性な人が多いと感じる。自分だけ楽観的になっても、悲観的な人がいればいるほど、そのネガティブパワーを受けてしまう面もある。
読了したら、また当ブログの中で感想を述べていくつもり。良い本だと思ったらオススメするので、そのときは是非あなたも読んでみてほしい。