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死んだ愛犬を感じる時がある

ペットロスが、ここまで続くとは思わなかった。

あれは、平成最後の社労士試験を受ける前の冬だった。私の大好きだったペットの犬が、老衰と病気で、ついに死んでしまった。

とても悲しかった。私がまだ少年だった頃から一緒に暮らしていた奴だ。世話が焼けたが、愛らしい弟のような存在だった。

社労士試験の合格を直接報告をしたかったけど叶わなかった(不合格報告は一度したがw)。あのときの冬は例年に比べてめちゃくちゃ冷え、老体だったあいつは、さすがに乗り越えることができなかった。

私は、つらさを忘れるべく欅坂46のスマホゲーム(パズルゲーム)に没頭していたが、 “心ここにあらず” な状態だった。社労士試験の勉強も、ボーっとした気持ちでやっていた。

今度の冬で、あれから3年経つ。

しかし、これまでに何度か、あいつの気配を感じることがあったのだ。

夢に出てくることがあるのはもちろん、存在を感じることもある。いるわけないと頭では分かっているのに、無意識的にあいつの名前を口にし、あいつを呼ぼうとしている自分がいる。声が聞こえるわけもないのに、聞こえる気がする瞬間もある。

そして、今飼っている愛犬は、あいつが死んだくらいに生を受けた。まさに生まれ変わりのような存在で、あいつの像を今の愛犬に重ね合わせようとしている自分もいる。器が違うだけで、魂は同じなんじゃないか?と。

まあ、ペットを亡くした人のあるある事情かもしれないけれど、まさかこんなにズルズル引きずるなんてね。あいつはきっと、あの世で「まだ僕のことを気にしてるの?」と笑っているかもしれない。

でも、つい先日、夜にバスに乗ったときのこと。

混んでいたので、私は立っていた。そこでふと窓ガラスに目をやると、そこには、あいつが元気に吠えている顔が映っていた

いや、正確には、ガラスの曇りの模様がそう見えたにすぎないのだが、それがまあなんと、目も鼻も口も、見事にあいつだったのだ。

私は窓ガラスをじっと見つめて、「あらま会いに来てくれたの?相変わらず元気だなー。心配してくれてるの?ありがとね」と、心の中でつぶやいた。

このまま感傷に浸っていたかったが、席が空いたので、とりあえずバイバイした。このままでは悲しくなってしまう、というのもあった。

束の間ではあったが、とてもあたたかい気持ちになった

いまだ、ペットロスは治らない。

今の愛犬のことも大好きだ。間違いなくそれは言える。

しかし、あいつのことが忘れられないのも事実なのだ。

いつまでこれが続くのか。

あいつの骨が眠っている場所へ行き、早くお参りしてあげよう。実は、なんだかんだでまだ行けていない。

それを終えない限り、私の時間は止まったままなのかもしれない。

P.S.
奇しくも、昨日(11月2日)は万霊節だった。
万霊節(ばんれいせつ)は、死者の魂が帰って来る日。カトリック版お盆と考えると分かりやすいだろうか。