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オフィスでもミニマリスト流を!不要物は邪気を生み出す

ミニマリストとは、ミニマル(最小限)なモノだけで生活を送る人のことをいう。中にはモノだけでなくヒトについてもミニマルを貫いている人もいるだろう。

モノやヒトを最小限にするというのは、はじめはなかなか勇気が要る。私はミニマリストから程遠い生活をしているが、不要なモノで溢れかえっている場所は、やはり気持ちの良いものではない。

モノは、ただ存在するだけでなく、何らかの念をも持っている。そのモノがそこにあるだけで、その場の気を左右する。占いとか風水とかあまり信じない私だが、モノの有無や位置で気分が変わる経験がある。

ところで、ミニマリストはYouTubeにも多く存在しており、最近、知名度も上がってきている。彼らは、口を揃えて「不要なモノを捨てれば、生活が豊かになる」と言う。

では、これをオフィスに当てはめてみるとどうなるか?というと、「不要なモノを捨てれば、仕事や経営がうまくいく」なのかもしれない。

前職のオフィスにあった「怨念

前職のオフィスは、皆黙々と仕事をしていたものの、雰囲気は暗く、重苦しい空気が漂っていた。過去に何人も辞めていったし、私も「このままでは心を病みかねない」と思った。結局私も辞めたが、それが理由のひとつだった。

対して、今の職場は違う。割と快適だ。重苦しい空気が漂っておらず、常に気が流れている感じがし、さらに、(明るいとまでは言えないが)暗さはない。明るすぎるのも落ち着かないので、ちょうどいいと言えばちょうどいいのかも。

そこで私は「この違いは何だ?」と考えた。

ひとつ、面積の違いもあるとは思うが、前職のオフィスにあった “とあるモノ” が、あの重苦しい空気を漂わせていたのではないか?と、今は考えている。

その “とあるモノ” とは、

・枯れ果てた数々の観葉植物
・裁判にかけられている変な機械

だ。

今あなた、「は??」と思いませんでした!?

・・・そう、私も「は??」と言いたいくらいだ。

枯れ果てた数々の観葉植物

枯れ果てた数々の観葉植物は、仕事をしているときはあまり気にならなかったものの、今思えば不要の賜物だった。

なぜそんなものを放置してあったのか、謎ったら謎。その観葉植物は、いったい何のために育てたものだったのか。そもそも観葉植物だったのかすら怪しい。

前からいた人の話では「所長がやった」とのことだったが、詳細は不明。でもその人は、「この枯れた植物から、何かからだに良くないものが出ていそうだよね」と、別のメンバーと会話していたこともある。

何か出ているのだとすれば、粉とか胞子とかではなく、きっと植物たちの「怨念」だ。

これは私の憶測だが、所長が儲けのために始めた事業だったのだろう。よこしまな考えで始め、結局事業はうまくいかず、植物は死んだ。

・・・もしそうなら、何らかの怨念が漂って当然だ。所長自身もきっとよろしく思っておらず、今でさえ、後ろめたさや後悔や罪悪感が、彼の潜在意識に存在しているはずだ。

裁判にかけられている変な機械

一方、裁判にかけられている変な機械は、どうやら観葉植物に関連する物だったみたいだ。でも、半ば物置みたいになっており、棚を製作した際の余った木材をその上に置いていた。

その木材も不要物だったが、やはり怪しげな機械こそ、オフィスに置いておくのはマズい代物だったように思う。

「裁判にかけられている」の詳細はよく分からなかったが、どうやら前いたメンバーが関係している物らしかった。裁判が起こるということは、何か嫌なトラブルがあったのだろう。彼も、きっとわだかまりを抱いて辞めていったに違いない。まさに、その機械は、彼の怨念の塊といえる。

そんな物をオフィス内に置いておくのは、正直気持ちの良いものではない。物に神様が宿っているなら、きっといつか死神と化すのではないか?という気さえする。

これもまた、所長はよろしく思っていないだろうし、今でさえ、色々な後ろめたさや怒りが、所長の潜在意識にはひそんでいることだろう。日頃の所長の態度のデカさは、その弱みを隠すための本能的な反動だったと思うと、妙な納得感を覚える。

怨念は風紀を乱す

あまり占いを信じない私でさえ、以上のような変なモノが空間に存在しているのは気持ち悪く感じる。そして、その場の空気も重くなり、変な磁場が発生しているんではないか?とも思ったりする。

そういった時空の歪みが、結局オフィスの風紀を乱すことになる。

・・・なんかアホらしいことを言っているなあと自分でも思うが、あながちウソではない気がする。

ミニマリストたちの多くも、やはり「モノの存在は大きい」と言っており、「不要物が運気を下げている」と言っている人もいる。

ミニマリストを目指すと、運気上昇!?

ミニマリストになれなくても、一度ミニマリストを目指すのは面白いかも!?とは思う。

モノの整理をすることで運気が上がるならば、やってみて損はない。

「風水なんか信じるか」という人にとっては効果は薄いのかもしれないが、やはり、必要のないモノが減れば気持ちが良いだろうし、空気の通りも良くなるだろう。

そういえば、物理学の世界では、物の重力は時空を歪めるといった理論がある。そう、あの一般相対性理論だ。その理論でいくと、物のある場所と何もない場所とでは、空間の形も時間の流れも違うらしい。

もちろん、それらは微々たるもので、生活に影響はないレベルではある。が、人間のからだは、そのほんのわずかな歪みでも、毎日の蓄積で少なからず影響を受けるのかもしれないのだ。

・・・なんだか難しい話になったが、物理学の話を抜きにしても、無駄なモノがあると、イライラしたり不快感を感じたり息苦しさを感じたりするもの。要らぬモノを見ることで、思い出したくないことを思い出すこともある。

ミニマリストになれなくても、少し目指してみることで、もしかしたら人生の歯車が良くなるかもしれない。ミニマリストたちは、それを信じてミニマリズムを貫いているに違いない。

オフィスの雰囲気を改善しよう!でも・・・

というわけで、オフィスにおいても、ミニマリストを目指しながら、不要なモノやタスクを減らし、心地良く、そして効率良く仕事ができるように努めたいものだ。

改めて考えてみると、「これって別に要らんじゃね?」というのが多々ある。たとえば印鑑のオンパレードとかね、、、w

さらには、ヒトについても、できる限りミニマリズムを踏襲し、自分自身の人間関係の改善をしたいもの。

でも、そう言うと、ヒトをバッサバッサ捨てようとしてリストラ攻撃をくり出す経営者も出てきそうだ。

ミニマリズムな人事考課も良いが、ゆとりのない人的配置をしてしまうと、労働者一人ひとりの首を絞めることになる。それじゃあ、必ずしも良い職場環境になるとはいえない。

また、労働者一人ひとりには生活がある。当然、会社はある程度労働者の人生の責任を負う。不当解雇は許されるものではないし、上司が部下に対して勝手に「不要物」というレッテルを貼っては、あまりに礼儀を欠いていると言わざるをえないだろう。

仕事をしない者がいるなら、たしかに不要な存在に見えるが、その前にその原因を探る努力をしたいものだ。ヒトは、モノと違い、非常に不安定で可変的な存在なのである。