仕事が遅い部下だが「承認」してほしい【R2年1月7日】
今日もまた上司に怒られたが、いつになく語調が強かったせいか、私の心にはネガティブな感情が生まれた。
それは、言葉では形容しがたい、複雑なものだった。
凹むような感情、苛立ちのような感情、恥ずかしい感情などが混じり合ったような感情だったな。
給与計算チェックをするときに、勤怠データや支給額や控除額などに誤りがないかどうか、元データを参照したり電卓を叩いたりしながら確認する。
だが、まだ慣れない私は、逐一すべてチェックしようとしていた。
何もかもが手動の時代ならそれでも良いかもしれないが、私の職場は高性能の給与計算ソフトを使用しているため、システム的に自動計算・自動入力される箇所がある。だからその分、チェックも大幅に省略できるわけだ。
しかし、ソフトの仕組みをまだ理解し切っていない私であるし、そもそもどこがどう連動し、どこで狂いが生じる可能性があり、どこで手入力の影響が及んでいるかなど、まだまだ俯瞰できていない。
その上、きっちりしていないと気が済まない面もあり、一つひとつすべてチェックしないと気が済まなかったりする。仮に省略などして、思わぬミスを招いたら嫌だもん。
つまりは、さじ加減が分かっていないのだ。要領の悪い新人である。
だからこそ経験していく過程で、徐々に省略の仕方を覚えていけばいいと思っていた。以前、所長からもそのように言われていた。
しかし、上司の考えは真逆だった。
先に効率の良い方法を基本として押さえるべきで、ほかに何もすることがないくらい余裕があるとき(そんなときはありゃしないけど)に、改めてすべてチェックすればいい、ということだった。
- あなたのやり方では夜な夜な仕事をしなければならなくなるよ!
- これじゃあ自分の首を絞めることになるよ!
- 効率良く仕事できるように考えてやらなきゃ!
と言われてしまった。
おっしゃっていることはごもっともだ。私が鈍臭くて非効率で、なおかつそれでミスも起こりやすくなっていたのだから、注意を受けるのは仕方がない。
上司の考え方は間違っていない。正論だ。
ただ、私はその上司とはまだまだ信頼関係が構築されていない。人間同士の距離感がまだあるわけだから、注意されても負の感情ばかりが生まれてしまう。相手の言ってる事が正しいだけに、余計に言い負かされた感が残る。勝負しているつもりはないのに、余計な戦慄まで覚えて・・・。
私もまた傲慢であり、「昨日注意された事を今日は頑張って取り組んでみたので、そんな自分を認めてほしい」とも思っていた。いや、認めて…というか、注意する前に「一生懸命取り組んだね」とか「この辺、昨日より良くなったじゃん」といった労いの言葉が一言欲しかった、というべきか。
まだまだお子ちゃまな私だね。
でも将来、もし部下ができたら、まずは部下への「承認」から始めたい。
それはやたら褒めることとイコールではなく、褒めることと叱ることの前段階にあるベースを意味する。
承認してくれない上司にいきなり褒められたところで、私はこれっぽっちも嬉しくない。承認してくれない上司にいきなり厳しく言われても、負の感情ばかりが生まれる。
日頃から部下のことをよく観察し、親心で接するという「承認」があるからこそ、いざ「いつも頑張ってたもんね!信じてたよ!」と褒められると涙が止まらなくなるだろうし、「どうした!しっかりしろ!」と叱られても「はい!」という希望の返事ができる。と私は思っている。
まだ「承認」がままならない段階では、それ相応の接し方をしたほうがいいだろう。
私のような人間が偉そうなことは言えないが、常にそう考えてはいる。
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本当わがままな部下だなあ、私は。
でも、叱られることは、悪いことではない。
給料が発生しているとはいえ、他人が自分のために時間を割いて叱ってくれるのは、大変ありがたいことだ。ご縁を大切にして、今後も仕事に励んでいきたい。
この記事をお読みになっている方は、ぜひとも上司や同僚や部下とのご縁を大切にして、思いやりのある職業生活を送ってくださいまし。
ちなみに、今日の終わりがけ、先述の上司に小さなことを褒められた。だから厳しく注意されたときの負の感情は、どっかに吹っ飛んだよ!
まあ、だからといって、そのお褒めの言葉を鵜呑みにはしないけどねw