★当ブログでは、Googleアドセンス広告や、記事によってはアフィリエイト広告を貼付しております。

給料をもらっていたら「プロ」なのか?

先日、上司とお話しする機会があり、彼はこんな事を言っていた。

「昔はよく怒られたもんだ。少しでもミスをすると、『なんでこんなミスをするんだ!給料をもらっている以上プロだろ!間違えるな!』と言われた。僕もそう思って仕事をしている」

という事。

きっと、日々の私の取り組みを見て、伝えておきたいと思ったのだろう。

しかし、給料つまりお金をもらっていたら、それだけで本当にプロなのだろうか?逆に、プロならお金をもらっていないといけないのだろうか?

・・・まず、結論から述べよう。

私が思うに、否、だ。

生計を立てられるほどのお金をもらっているからといって、それだけではプロとはいえないと思う。また、プロだからといって、生計を立てられるほどのお金を得られるというわけではないとも思う。

まず、採用試験に受かれば、それで就職。仮に生計を立てられるほどの給料をもらえるとしよう。でも未経験。

・・・この時点では、プロとは言えない。だからプロになるべく頑張る。それはそれで良い。しかし、「お金をもらうからプロとして」というのはおかしい。これを良しとするならば、お金さえ手にしたら誰だってプロを目指さざるを得なくなる。プロって、そういう過程でなるものだろうか?私は違うと思う。

プロだというなら、その仕事に人生をかけられなければならない。自分の力で稼いでいる人ならともかく、給料は会社から支払われるもの。つまり会社という後ろ盾があるからプロとして「演じることができる」だけの話。プロだというなら、給料をもらえなくても打ち込んでみてほしい。打ち込めるはずだ。プライドにかけて。また生き甲斐として。

今度は逆の面から見てみる。

何かの道に通じたプロがいるとする。例えば日本画のプロだとしよう。めちゃくちゃスキルがあり、人の心を鷲掴みするほどの画力があるとする。

しかし、なかなか売れない。

彼に売るための力があったとしても、人が必要としなければ、人は買おうとしない。だから稼げない。でも絵そのものは素晴らしく、必要とする人にとっては人生に欠かせないほどのもの。そう、プロの絵なのだ。

するとここで、「そこをどうにかして売り込んで稼いでこそ、真のプロだろう!」という人もいるだろう。

ごもっともだ。その意見も間違ってはいない。

しかし、それはお金というものに主眼を置いている。それはそれで、そう考える人の価値観なので、私がとやかくどうこういうことではない。が、心が貧しいとは思う。なぜなら、お金というのはツールにすぎないから。ツールであって、物の真価を評価するものではない。ヒトやモノを動かすのための道具。給料もそう。あれは、「これだけやるから働いてくれなきゃ困る」というエサにすぎない(安月給の会社も多いが)。

つまり、プロとお金は、別次元で存在するもの。私はそう捉えている。

だから、お金をもらっていればプロという考え方には違和感があるし、プロなら生計を立てられるほど稼げているはずという考え方にも抵抗がある。

そうやって考えたい人はそう考えれば良いのだが、強制はしないでほしいものだ。「給料をもらってるんだから、プロとしての仕事をしなさい」は、相手の価値観を慮っていない発言であり、歓迎されるべきものではない。給料は給料であり、プロとしてかどうかは、また別の問題なのだ。

世の中には、プロとしての仕事をしていなくても、生計を立てている人は大勢いる。いや、正確には、「本人はプロとしての自覚がなくても」と言うべきところか。中には、「仕事が大嫌いで辞めたくて仕方がなくても」という人もいて、無難に一生を終えられれば良いと考えていたりすることもある。

そういう生き方を否定することはできない。「プロとして」と本人が思うのは自由だが、人に押し付けるならば、それは相手の生き方を否定することにもつながる。

だから言うもんではないし、言われたほうは面白くない。