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迷いや葛藤を持って仕事することの何がいけないのか?思考停止になるな!

今朝、私は下記のツイートをした。

偉い人との面談で、

・今の仕事のままで本当に良いか常に考えている
・仕事をしながらスキルを身につけていく
・褒めることも必要である

ということを言ったら、全てにおいて驚かれた(悪い意味で)。

彼は良い歳なのだが、これまで一体何を見てきたのだろうか。

「偉い人」とは、以前日記で紹介した “かなり上の上司” のことだ。イヤ〜ことを言い、私をクビへと導いた人。

黒幕社員は別にいると思うが、彼は完全にトップのマリオネット。また、黒幕社員の意見を鵜呑みにして拡大解釈する大馬鹿者である。

お陰で私はクビになるが、まあそんなこんなな組織に居ても仕方がないので、潔く退かせてもらうことにした。

さて、本題だ。

そのマリオネット上司は、私が、

・今の仕事のままで本当に良いか常に考えている
・仕事をしながらスキルを身につけていく
・褒めることも必要である

と言ったら、ひどく驚いた様子だった。

特に今回とりあげたいのは1つ目。もう昨年のことになるが、同情を求めて説明してきたいと思うw

「今の仕事のままで本当に良いか常に考えている」のはダメ?

私は、常日頃から、何かにつけて「このままで良いのか?」と考えている。

つまり、現状を良しとし、維持し続けることはあまり考えていない。結果としての現状維持はありえるが、いつも「必要ならば変化する」と考えている。

改善できるなら改善、手を抜けるなら手を抜く。そういうことだ。

しかしマリオネットは、誤解したのか、はたまた私のこの迷いを否定したかったのか知らないが、驚きの顔を見せた。

私は正直葛藤していた。「この仕事が合っているのか?」「今のままでも良いが、今のままで良いのか?」という禅問答のようなことも常々自問自答していた。

それを伝えたら、マリオネットは「葛藤しているんだ!?」「トップに報告します」と、小馬鹿にするように言い放った。まるで「迷いや葛藤などありえない」と言わんばかりに。

・・・迷ったり葛藤したりして、何がダメだと言うのだ?むしろ何も考えない思考停止人間のほうが問題ではないか?

と私は思ったが、そこまで言ってしまうとさらにギクシャクすると思い、我慢した。

マリオネットとして生きることは良いことなのか

マリオネット上司に限らず、マリオネットとして生きている人は多いだろう。

今の会社に居留まることを常識とし、上から言われたことを素直に実行し、人生のことを考えず、惰性で過ごすという生き方。

そういう生き方をしたい人は本来いないと思うのだけど、社畜生活に馴染んでしまった結果、思考停止に陥っていたり、正常な思考ができなくなってしまっている人は、きっとどの組織にも一定数存在するものである。

疑問を持ちつつ働いているならまだ良いが、疑問を持つことを悪とみなしたり、疑問を抱けるようは精神状態でなくなってしまっていたりする人もいるだろう。

つまり、そういう人たちをまとめて、私は “マリオネット” と呼んでいる。そう、操り人形だ。

何にどう操られているかは人それぞれだし、大なり小なり誰にでもあるかもしれない。が、害悪なマリオネット社員は、その程度が甚だしく、もはやリフレッシュさせられるような状態ではない。マリオネットというよりロボット怪物だ。

果たして、そんな状態が良いと言えるだろうか?

トップがそういう人間を求めているなら仕方がない。組織文化も多分に関係するため、組織によっては善かもしれない。また、組織で働くということは、ある程度のマリオネット性も必要だ。もし自分で好きに仕事したいなら、いっそ起業したほうが良い。

だがしかし、だ。

そういったことを踏まえたとしても、先ほどのマリオネット上司は行き過ぎている。組織のために忠実に働く人間であってほしいなら、その思いはまだ理解に努められる。けれど、思考停止人間になってほしいというなら、私は到底理解できないし、理解に努めたくもない。

迷いや葛藤がない=思考停止

「私に迷いはありません!」「私の辞書に葛藤という言葉はありません!」という人もいるかもしれない。

それはそれで素敵なことだと思う。

ただし、本当にやりたいことをピンポイントでやれていて、かつ、今以上に良くなりたいという意思が無いのであれば、だ。

・・・ちょっとシビアな事を言っている気もするが、本当のことである。

迷いなく取り組めること自体は理解できる。葛藤がないならないで、そのほうが精神衛生上は良い。

でも、常に一定してそういう状態でいられることは、正常であればないはずなのだ。

ああでもないこうでもないと考えたり、もっと良い仕事をしたいと思ったり、逆に、ここまでやる必要はないなと気づいたり、人間ならばそういった経験をせずにはいられないはずだ。

もし「そういう経験最近していないな」というなら、思考停止人間に成り下りつつあることを自覚し、考えることに努めたほうが良いと思う。

まあ、私がどうこう言う資格はないが、思考停止になってしまうと、人生は幸福にはならないし、組織も改善しない。

そのまま惰性で生きて死ぬというのもひとつの死生観だとは思うけれど、一度、「明日死ぬとしたら、このままで良いのか?」と考えてみたほうが良い気がする。

それを経てもなお変わる必要がないと思うのなら、それはそれでOK。思考した先に不変があるなら、それは思考停止とは言わない。