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「仕事ができない人」と指さすのは、心の弱さ・小ささの表れ

インターネットで色々なサイトや動画を観ていると、ときどき「仕事ができない人の特徴」であったり「仕事ができない人の口癖」であったりと、一部の人を馬鹿にするかのようなネタを発信している人に出くわす。

そういうネタが悪いとは思わない。私自身は仕事ができる人間とは思わないので、そういうネタを観ては自己啓発の参考にすることがある。また、私の友人は仕事に対して苦手意識が大きいので、友人へのアドバイスを考える上でも参考にしたりする。

そこでだ。

情報を発信している側が、本当に視聴者のことを思って発信しているなら良いが、中には、自分は仕事ができる!仕事ができない奴は馬鹿だ!と言わんばかりの態度の人もいる。口に出さなくても、顔にそう書いてあるのだ。

ネット上でもそうだが、リアルの世界でも、そういう人は多いだろう。

というか、リアルでこそ、陰でこそこそ「○○部の△△さんはああだこうだ」とか「◇◇ちゃんって▽▽のくせにああよねこうよね」と、仲間同士で会話をしていたりするからタチが悪い。特に、少し歳を重ねた女性にそういうのが多い気がする。

きっと、本人たちは、日頃のフラストレーションを晴らすために、愚痴大会を開いているのだろう。仲間同士で悪口を言い合えば、そのときは気持ちがいい。

でも私は、そういう人たちに対して「みじめにならないか?」と問いたくなる。

実際に問うてみたら険悪なムードになるだけなので問わないけれど、人のことを馬鹿にしないと心を満たせないのは、言うなれば、それは心の弱さの表れだろう。悪口を言った後は罪悪感にさいなまれるはず。だから余計に心が濁り、弱る。

本当に強い人は、よほどのことがない限り人のことを悪くは言わない。自分の弱さを素直に認め、自分を高めている。表情は穏やかで陰口も言わないが、筋が一本通り、ブレず、しかししなやかさも持っている。

心の弱い人は、常に他人と自分を比較し、自分を卑下したり、劣等感を隠すべく悪口を言ったり攻撃的になったりしてしまう。一瞬は心地良い思いをするが、その後自己嫌悪に陥り、ますます素直になれず、人のことを悪く言ってしまう。

さて、あなたはどうだろうか?

・・・多くの人は、きっと心の強度が揺れ動いているはずだ。
強くなるときがあれば、弱くなるときもある。

それが人間さ。

常に心が強い人もいると思うが、そういう人は稀だろう。


仕事ができない人というレッテルを貼られても、なんら気にする必要はない。

その会社での評価に結びついてしまう可能性があるが、それはあくまでその会社の価値観にもとづいているのであって、人間として欠陥があるわけではない。また、評価の角度を変えれば良い点はあるだろうし、他の会社の風土においては、逆に “できる人” として見られる可能性もある。

要は、できるできないなんて水物よ!

会社の人事考課においては、どうしても一方的で一元的な評価になりがちだが、評価する側は、そうならないよう常に気をつけるべきだ。

目標の達成度や結果の有無に目が行きがちであるが、仕事というのはそれだけでなく、あなたがその場に存在している意義まで含むものだ。あなたがたとえ大きな功績を残せなくても、それで良い。あなたがその場にいるだけで、組織の星まわりが良くなることがある。ならば、あなたは立派に “存在する” という仕事をしているというわけだ。

そこに気づけない上司はこの世の中に多いだろう。
でも、気づくべきだし、気づかなければならない。

そもそも、生きているだけで立派なんだ。
たかが広大な宇宙の塵にも及ばぬ我々。仕事ができるできないというテーマで話を盛り上げようとするなど、スケールが小さすぎてアホらしくさえ思える。

ちょっと話が逸れたが、ハード面ばかりを重視する職場は、合理化・効率化には良くても、職場環境の改善や、モチベーションや生産性の向上にはつながりにくくなる。

もっと宇宙を想像し、広々とした心と目線で生きていこう。

・・・と、
最近、仕事ができない人の例を挙げている人を見るたび、思うのである。

そんな私もまた、心の弱い・小さい、ちっぽけな人間なのだろう。
神さまや仏さまは、きっと憐みの目で微笑んでおられるに違いない。