障害者雇用では職場からの理解をどれほど得られるかが重要
先々月から障害者雇用で働き始め、視野もだいぶ広くなってきたし、社員の顔も前よりはだいぶ分かるようになってきた。
強迫性障害と、発達障害のひとつである自閉症スペクトラム障害(ASD)の2つを抱え、職場から合理的配慮を頂きながら働いている。そのため、悩みなどひとつもなく、非常に快適に仕事ができている。
・・・はずだった。。
いや、前職や前々職に比べると、はるかに働きやすいし、精神的にも落ち着いている。だから一見すると喜ぶべきところなのかもしれない。毎日安定して勤務できているし、ちょっと冷静に考えると恵まれているなあとさえ思う。
じゃあ何がいけないのかというと、それは、私が職場に完璧を求めすぎていたことだ。
就職前に思い描いていたイメージのとおりになっている部分もあるが、実際に働いていると、イメージとのギャップも少なからずある。部分的に「え、合理的配慮はどこいった?」と思うこともある。平たく言えば、企業から私の障害特性へ理解が追いついていない部分があるわけだ。
たとえば私の場合、ASDゆえに人とのコミュニケーションが苦手だ。報連相はまだきちんと行えるにしても、うまく何かを要求したりとか、良い方法を自分で考えて臨機応変に他者に働きかけていくとかといったことにおいて、健常者よりもスキルが劣る。やろうとしても、全力に取り組んでやっと。結果、精神が削がれ、疲れてしまう。
にもかかわらず、職場は、そこのところの理解がやや追いついていないような感じがする。
いや、なんだか職場の悪口みたいになってしまっているが、それは仕方のないことでもある。だって、当事者じゃない限りそんなこと分かるわけないんだから(当事者の私ですら自分が分からくなることがある!)。仮に職場の人が障害について勉強していたとしても、障害特性は一人ひとり異なり、感じ方も違えば、環境による作用もさまざまだ。
障害者は「障害を理解しろ!」とよく言うが、それは他者にとってはかなり難易度の高いことであるし、ことに健常者に至っては、まだまだ偏見の念を抱いている人も少なくないだろう。
だからマジで仕方がないし、私も今では、ある意味「そういうもんだ」と割り切っている節がある。仮に健常な状態であったとしても、誰しも、職場に対する不足感や不満というのは持っているものだ。完璧な状態などありゃしない。
とはいえ、私もあきらめたわけではない。
私は、仕事を細く長く続けたいと思っている。100%理想でなくてもいいから、心身を壊さず、安心して長く勤めていき、ほどほどに楽しんでいきたい。また、まわりの人にとっても私の存在が足かせにならず、できるだけ効率的・快適であってほしいとも思っている。
だから少しずつ、職場に対して自分の障害のことを伝え、頂く理解を増やそうとしている。また、就職前にお世話になっていた就労移行支援事業所の【LITALICOワークス】には、現在 定着支援でお世話になっている。自分の力ではどうにもならない点や言いにくい点は、支援員の力を借りて職場に伝えてもらうよう体制を整えている。
私が当初抱いていた期待値は大きすぎたが、100%期待どおりにならなくて当然だ。一方で、そこに近づいていくための努力は怠りたくない。
繰り返しになるが、今いる職場は、これまでの職場と比べると遥かに居心地が良い。それは事実だ。いろいろと仕事を与えられて嬉しいし、やりがいも感じる。働けることに対して、人生で一番有難みを感じている。
ただ、私は障害者。これも事実。そして職場の人も一人間であり完璧ではなく、私が悩むのと同じように悩みながら、理解に努められていることだろう。だからこそ私も、支援員のフォローを得ながら、自分についての取り扱い説明を提供していきたいと考えている。
お互い、これからよ!!
理解を得るということは並大抵ではないが、健全に働くには非常に重要なことだ。これは、障害者に限らず、本来は働く人全員に言えることだと思う。私も、可能な限り、周りの方への理解を忘れないようにしたい。
今回は以上です。