★当ブログでは、Googleアドセンス広告や、記事によってはアフィリエイト広告を貼付しております。

ゴミ上司が好きな「前にも言ったよね」というタブーワード

いきなり「ゴミ上司」だなんて汚い言葉を使ってすみませんが、それくらいのタブーワードなのだ、

「前にも言ったよね」は。

・・・この言葉、部下にイライラすると言ってしまうっていう人、多いのではないだろうか。思わずポロッと口にしてしまうものだ。
 ※補足: 「前にもお伝えしていたらすみません」的な意味で言う「前にも言ったよね」等は別物。ただしその場合も、言葉の選び方次第では今回のと同質になりうる。

でも、「前にも言ったよね」と言えば言うほど、上司という立場はゴミ(つまり上司としての機能を果たしていない)と化す。そういう意味で、私はゴミ上司と呼んでいるわけだ。

「前にも言ったよね」は、実に簡単な文句だと思う。そう言うだけで、「私はきちんと教えました。私は悪くない。あなたが悪い。反省しろ」とか「私はあなたをしつける調教師。つまり目上。あなたは下。へへん」といったニュアンスを伝えることができる。人によっては、「私が前にギブしたのに、あなたはテイクしていない」といった、見返りを求める的な意味で言っていたりもするかもしれない。

だが、その言葉は、部下への教育を放棄している言葉だ。成長させる気が全くない上、部下の心を傷つけている。本当のところ、上司は、「自分はあなたより偉いし、仕事もできる」「私なら簡単にできる」「あなたはカス」って感じでマウントをとりたいだけなのではないだろうか。

だからゴミ上司なのだ。

「前にも言ったよね」・・・うん、たしかに前にも言ったかもしれないね。

でも、それがどうした??

現状にフォーカスすれば、前にも言っていようがなかろうが、そんなの関係ない。何かができていないのなら、できていない事実がそこにある。前に言っていても言ってなくても、できていないものはできていない。ならば、できるようにするにはどうすれば良いかを、部下と共に考えるのが上司としての役目ではないだろうか。

「前にも言ったよね」という言葉は無駄でしかない。部下も部下で、ミスしたときは「しまったなあ」と痛感している。そこにクギを刺すかのようにその言葉を言い放つのは、悪魔のようなものだと言っても良いかもしれない。部下をひとりの人間として尊重していない証左だ。

また、忘れてはならないのは、本当に前にも言ったのかどうか?という点。

私も仕事中、毎日毎日「前にも言ったよね」と言われるが、「本当に言われたっけ?」と思うことがよくある。

上司は、たしかに言ったつもりなのかもしれない。でも、相手に正しく伝わっているのかどうかは分からない。部下は理解したつもりでも、本当に理解しているかは怪しいものだ。

たとえば、「うちはマンションだけどペットOKでね、このあいだワンコを飼うことにしたんだ♪」と聞いて、あなたはどんな犬を想像しただろうか?

ひょっとしたら、チワワやダックスフントのような小型犬かもしれない。大きくても中型犬。発言者もそのつもりで言っているはずだ。

でももし、大型犬の存在しか知らない人がいるとしたら、その人は小型犬を想像することはできない。きっとラブラドールレトリーバーやコリー、さらにはドーベルマンのような犬を想像するはずだ。

大型犬しか想像できない人は、「AAA社の子犬向けのエサを買ってきてほしい」と言われたら、おそらく大型犬の子犬向けのエサしか買ってこないだろう。

「機転を利かせて小型犬のエサを買ってくれば良いじゃないか」と思う人もいるだろうが、いや、大型犬しか知らない人は、小型犬のエサは完全に別カテゴリーの物であり、そもそも眼中にない。たとえ眼中にあっても、大型犬が当たり前として育っていれば、大型犬のエサを先に手に取ってしまう。

「マンションなんだから大型犬の可能性は低いと考えるべきだ」という異論もありそうだ。たしかに、そういう発想は大切だ。しかし、大型犬しか知らない人は、そもそも大型犬が犬の全てなのだから、小型犬という発想すらないため、あらかじめ訊こうという思考には至りゃしない。いくら部屋が狭いマンションだろうが、そこで大型犬の子犬を飼っている光景をイメージするのだ。

結果、大型犬の子犬向けのエサを買ってきてしまい、「あれ?マンションで飼ってる犬って説明しなかったっけ?」と突っ込まれてしまう。突っ込まれた側は「え・・・」だ。

もっと言おう。先ほど、「ワンコ」と書いたが、聞き手は「インコ」と聞き取る可能性もある。もしそれで「エサ買ってきて」と言われたら、インコ用のエサを買ってくるだろう。

・・・以上は少し非現実的かもしれないが、似たような構造の出来事が、実際の仕事では日常茶飯事だ。「前にも言ったよね」も同じ構造。認識のズレ、解釈のズレ、思考のズレなど、いろいろなズレが原因にある。

言った側はさも当然かのように思っていても、生まれ育った背景、物事の捉え方や思考回路、感性や価値観、音声の聞こえ方、記憶力、現況などは人それぞれで違うわけだから、「前にも言ったよね」といった枕詞を置いたり突っ込んだりするのは失敬な接し方といえる。

そもそも部下は、上司に言われたことを100%は覚えていられない。メモも、逐一全部とれるわけではないし、とっていても、意味を履き違えていたりすることがあるし、すぐに再確認できないこともある。また、物事によってはメモできない性質のものや、とにかく慣れるしかない性質のものもある。

上司は、そういった様々な状況をイメージして、部下に指導なり教育なりを施すべきだ。

私が将来部下を持つようになったら、絶対に「前にも言ったよね」とは言わないようにする。もし万が一言ってしまったときは、部下に謝るのはもちろん、家に帰って自分を引っ叩いてやる。顔が真っ赤になるまで。なんなら、辞表を出しても良い。

それくらいのタブーワードなのだ、「前にも言ったよね」は。

私はゴミ上司にはなりたくない。それ以前に、ゴミ人間でありたくない。