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大学入学共通テストの「鼻出しマスク」を成敗したことに関する謎

2021年から、センター試験に代わって大学入学共通テストというものが実施されるようになった。

ついこのあいだの16日と17日に実施され、多くの受験生が一喜一憂したことだろう。私にも受験生時代があるし、これまでにいくつか資格試験を受けてきているので、いろいろなドラマを想像する。

さて、ここで本題。

タイトルにもあるとおり、「鼻出しマスク」についてだ。

ある一人の受験者が、鼻を出してマスクをしていつところ、監督者に注意を受けた。しかし彼は従わず、その後6回の注意を受けるもやはり従わなかったため、ついには失格になった、という事件だ。

再三の注意を無視したため失格←これ自体は問題なし

当該テストでは、マスクの正しい着用は義務とされていた。もし感覚過敏等あれば、医師の診断書を事前に提出して申請することで、別室での受験も可能だった。

そしてもちろん、監督者の指示を無視すると不正行為とみなされて失格。今回は、マスクの着用の再三の注意を無視したことで不正行為とみなされ失格となった、というのが話の筋だ。

以上を見れば、当然、当該受験者が悪い。ルールに従わなかったのだから、それなりの罰を受けるのは当たり前のことだ。

しかもニュースによれば、まわりの受験者にまで迷惑が及ぶほどだったらしいので、感情の矛先が当該受験者に向くのも理解できる。

つまり、今回の件をまとめると、正しいマスク着用のルールのもと、鼻出しマスクを再三注意したが従わなかったので失格、ということになる。

だが、注意の理由に不可解な点あり

再三の注意を無視したから不正行為とみなされた。そこは良い。そりゃそうなる。

だが大事なのは、そこに至ったプロセスだ。結果的には正しく見えても、本質を見ていくとおかしなことはありうる。それは今回の件に限らない。

今回の場合は、大学入試センター自身、このように説明しているようだ。

せきなどの症状はなかったが、意図的に鼻を出していたため、総合的に判断した。息苦しくて時折、マスクから鼻を出すことは不正ではなく、あくまで受験生が繰り返しの注意に従わなかったため(ソースはこちら

これを読んでも、繰り返しの注意に従わなかったので、当該受験者は失格となったことが分かる。

だがしかし、だ。

気になる点もある。

意図的に鼻を出していたため、総合的に判断
息苦しくて時折マスクから鼻を出すことは不正ではない

という点。

「意図的に」とは、いったいどういうことなのか。意図的かどうかは、どのように判断したのだろうか。

そのあたりがよく分からない。仮に、ルールにもなっていた正しいマスク着用とは、鼻を出さないことをも表していたというのだろうか。もしそれなら、鼻を出した着用は正しくない着用方法であり、意図的な鼻出しとみなされたのだとも考えられる。

ただもっと気になるのは、「息苦しくて時折マスクから鼻を出すことは不正ではない」と言い切っていることだ。

まあ、あくまで新聞の情報なのでどこまで信用できるかは分からないが、もし本当なら大問題だ。

当該受験者の息苦しさは、他人が側から見ているだけで分かるようなものではない。さらには、息苦しいだけではあらかじめ診断書はとれないので、通常受験するしかない。となると、監督者は、本来、鼻出しマスクは看過せざるをえない件といえる。

むろん、鼻を出すことで、わざと相手に向けて鼻水をかけたり鼻くそを飛ばしたりするのなら、不正行為とみなされても無理はない。私は現場にいたわけではないので分からないが、もしそんなことやそれに似たようなことをしていたなら、注意を受けて当然だ。

だが、ニュースを見るに、本当に不正行為であったのか、何度も注意すべきような事であったのか、大変疑問に思う、というより謎めかしい。

たしかに監督者の指示を無視したことでの退場だ。そこは良い。が、その指示は本当に適正なものであったのだろうか。監督者も、大人げなく、「こいつは怪しい奴に決まっている。何としてでも退場させてやる」と見ていた可能性もあるのではないだろうか。

・・・と、色々な事が頭の中をめぐるわけである。

世間はウイルスより怖い

ここからは少し視点を変えよう。

今回の件を見て思ったのは、監督者も多くの国民も、やたらマスク信仰が過ぎるのではないか?ということだ。

こんなツイートを発見した。

無言で受けてる入試で
マスクで鼻を隠していなかった受験者が失格処分

鼻息に含まれる飛沫核の大きさは5μm以下
ウイルス自体は0.1μm

マスクなんて普通に通過する
隙間からも漏れる

鼻を出そうが隠そうがマスクに何の意味もない

この国ではもはや
「飛沫」どころか「呼吸」すらも許されなくなった

こういった論(画像付き)もある以上、マスクを絶対的なものとして判断するのはまずい。「念のため」としても、強要することはできないはずだ。しかもそんなことを言い出したらキリがなく、死ぬまでガスマスクを装着しなければ筋が通らなくなる。

マスク着用が試験のルールだとしても、そのルールは本当に憲法や法律に従ったものなのだろうか。

ちなみに雇用契約書の場合、会社の就業規則に従っていない部分は当然に無効になる。さらに、その就業規則も、労働基準法などに従っていない部分があれば、その部分は当然に無効だ(規則丸ごと無効にはならない)。

それはともかくとして、世間の多くの人は、敏感になりすぎて、マスク警察となってきている

どっちつかずの人も、とりあえず多数派に加担しておけば楽だから、ろくに思考をめぐらせもせずにマスク警察に成り下がってしまったりする。

新型コロナをはじめとするウイルスは、おっかない。潔癖症という強迫性障害を持った私が言うのだ。ウイルスは怖いんだ。

だが、それより怖いのは、やはり世間。

手段が目的となり、その目的を果たさない人を糾弾する。

そりゃそうだ。そのほうが楽だし、なんとなく強くなった気でいられるから。もし反対意見を言おうものなら、多数派のマスク警察に打ちのめされ、生きていく自信すら失ってしまうのだから。

・・・いやいや、でもね、もっと強くなろうよ!と思うのだ。

常に思考をし、真実を模索していく姿勢が大事

正しいことを100%知るのは不可能。それを言い出したら、この一生では到底時間が足りない。

でも、常に考え続け、何が正しいのかを模索しながら生きていく。そんな姿勢を持つことは大事なことだと思う。

今回の大学入学共通テストの件もそう。

批判するのは簡単だ。一点張りして受験者を糾弾するのも簡単だし、人によっては、ある意味快感なのかもしれない。

しかしそれで本当に良いのか。

今回の件とは別に、ルールのあり方、マスクの意義などをはじめ、考えるべきことは多いと思う。

結果的には、監督者の指示に従わなかった受験者が悪い、ということではあるが、本質を見ていくと、いろいろな謎がある。その謎から目を背けてはならないし、「そんな暇ないよ」「お前、頭大丈夫か?」と鼻から否定するのも、他の国民の為にはならないと思う。

私も、そこまで賢くない頭ではあるが、色々なことを考え、柔軟に生きていきたい。