入社半年未満で「始末書」等を2枚も立て続けに書いた
何も自慢にはならないが、私は、今の職場に入って半年も経たない間に、始末書と顛末書の計2枚を書いた。しかも同じ週に。。
入社半年は試用期間。
これは私の想像だが、下手すると、試用期間いっぱいでクビになる可能性も出てきた。
労働基準法上、試用期間といえど簡単に解雇することはできないが、退職をするようにやんわり促してくる可能性が出てきたように思う。
それよりもまず、部署の異動になれば良いのだが、どうなることやら。。
自分が思うに、立て続けに私に災難が降りかかるなんて、正直まいるね。
というわけで、差し支えない程度に、起きた不祥事2つをご紹介したい。
大事なデータが無くなった!
ひとつは、大事なデータが消えてしまったというもの。
当然だが、故意に消すことはない。
そう、気づいたら無くなってた。さっきまであったはずのデータが、フォルダごとごっそり消えていた。
心当たりは、ない。
だが、なぜ消えたのか。私が消してしまったなら、いつ、いつどうやって消したのか。。振り返れど振り返れど分からない。本気で分からない!
でも、消えたのは事実。消えたものは消えたのだ。
シークレット情報にもなる重要なデータなのだから、安直な取り扱いをしていてはマズい。もし外部とかに漏洩したなら、それはもう非常にマズいことになり、クビでは済まない。内部で漏れるだけでも由々しき事態だ。
調べた限りでは、不幸中の幸いにも、消えただけで済んだ。私の知らない場所にワープしていたら知らんが、、、。
ともかく、私の扱いがずさんだった。認めたくないが、それが事実なのだ。
これは私の責任だ。
何かのせいにしたくなるけど、私が取り扱っていた以上、私が悪い。
以上のきっかけもあって、先日、「無」という記事を書いた。
データ確認が甘く、従業員に迷惑がかかった!
もうひとつの不祥事は、給与にまつわること。
詳しくは言えないが、ある料金を、従業員から余分に控除してしまっていた。
ただ、これは私は腑に落ちない。
というのも、給与データを作っていたのは別の人(以下Aさん)だから。
私は半年未満のペーペーの素人。前職で給与計算をやっていたとはいえ、今の職場では「お前にはまだ早い」な状態だ。Aさんに対し、給与データ作成に必要なデータを渡すことはあるが、給与データそのものの責任は、私にはない。
でも私は、Aさんが作った給与データの中の 或る料金のみ、きちんと控除できているかの確認をしている。
入社してからAさんに教えてもらったとおりに愚直にやっていた。私の中はきちんと確認した。Aさんにも「正しく控除されています」と報告した。
そしたら事件は数日後。
Aさんがいつになく他愛もない話をしてきて、「なんか珍しいな」と思ったのも束の間、いきなり、控除の額にミスがあったことを伝えてきた。
控除額の数値を入れ込んだのはAさんだったが、結果として私の確認不足として取り扱われ、ついには顛末書を書かされることになった。
Aさんは「ごめんね!」と言っていたが、あとになって「なにがごめんねだ!ああやって他愛もない話をしてきたのも、こっちの気を紛らわすためだったのだな!」と、怒りがフツフツ湧いてきた。
悔しい。。
ひょっとして、私は陥れられたのか。。?
結局は私の確認方法に改善点があったわけだが、なぜ私が顛末書を書かねばならないのか、腑に落ちなかった。
まだまだ慣れない作業を、教えられたとおりに愚直にやって、このザマだ。改善点はあるとはいえ、サービス残業までして顛末書を書くという仕打ちを受けねばならないのは、なぜだ!
Aさんはヘラヘラしていたが、私はドンヨリ。
あ、分からんよ?Aさんはもっとちゃんとした始末書を書いていたかもしれないから。
でも、私に対して、もっと言うべきことがあるだろうが!!
・・・と思ったけど、怒っても仕方がないから、もういい。
これから先のことを考える
よく分かりもしないことで責任を負わされるシーンは、社会人である以上ありうることだ。
ただそれとは別に、ケアだったりフォローだったり、もっとあっては良いのではないか?
私は連チャンで始末書等を書かされ、責任を背負い、正直心が痛い。自信も失いかけるし、気が重い。
甘えた考えだと言う人もいるかもしれないが、そんなとき、誰かひとりでもいいから、心のケアをしてくれる上司がいたら良いなあと思う。結局、「責任が重いよ」としか言われていないのだ。それは分かってるんだ、すでに。
最近私は、「これから先、私は重要なデータを扱うべきなのか?」と、悶々として過ごしている。
私は、陥れられているとは思いたくないが、もしかしたら無意識的に私を異物扱いしている可能性はある。それは、普段の私のアウェー感を振り返ってみても分かる。それに、新人の私が責任を背負えば、上司は今の席に居続けられるし、上からの信頼も失わずに済む。
私は孤立している。職場は停滞し、閉鎖的だ。
これから私はこの組織で働き続けるのだろうか?
それとも、私が改革を起こしていくべきだろうか?
いや、いっそのこと、再び転職を考えるべきなのだろうか?
・・・今答えを出すには、まだ早いかもしれない。とりあえず、もう少し頑張ってみよう。
先日友人と遊んだとき、彼は私を見て「いつもと比べておかしいよ」と言ってきた。あまり自覚は無かったのだが、どうやら私は相当まいっているみたいだ。
でも、職場の外でも誰かと交流を持つことは、自分を客観視したり、微調整をかけたりする上で、非常に大切なことだと思う。
あるひとつの組織の中にいて、違和感や反発心を覚えるうちは良い。しかし、いわば洗脳されて、感覚が麻痺したり、小さな世界の考え方を常識として捉えるようになってしまったら、それは心の死。
そうなってしまうと、元の心にリフレッシュするには相当の時間と労力と工夫が必要になる。当然、幸福度も上がらないし、いつか肉体が滅ぶとき、「楽しい人生だった!」と感じることはありえない。
私は、常に思考しながら生きていきたい。