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読んで後悔!社労士に向いている人・向いていない人

悲観的なタイトルを付けて人をおびき寄せようとしている私は性悪なのかもしれないが、今回は本音で話してみたいと思う。

読んで後悔しそうな方は、読んでしまう前に戻るボタンを押したほうが良いだろう。時間は大切に使うべきだ。

さて、まず結論からお伝えする。

社労士に向いている人はどんな人かというと、

そんなの分からない

逆に、社労士に向いていない人はどんな人かというと、

それも分からない

以上だ。

どうだろう?
読んで後悔しましたね?

でもこのまま終わると腑に落ちないと思うので、下記にて話を展開していこう。

さて、きっと多くのサイトでは、下記のように述べられていると思うが、いかがだろうか?

社労士に向いている「らしい」人

・責任感がある人
・正義感がある人
・勉強熱心な人
・コミュニケーション能力がある人
・数字に強い人
・集中力がある人

・・・等々、「社労士に向いている人」というキーワードで調べてみると、たいてい上記のようなことが書いてある。

それを読んであなたはどう思うだろうか。

納得しますか?

きっとしないと思う。
なぜなら、ありきたりだから。

どんな仕事にも当てはまりそうなことしか書いてない。それをむりやり社労士業に当てはめているにすぎないので、まるでそんじょそこらの占いと同じようなものだ。

でも、どれも必要な能力ではある。そこは勘違いしないようご注意を。

ただ、数字に強いっていうのは、たしかにそういうシーンもあるが、あまり関係ないような。。いずれの能力も、経験こそモノをいう。

社労士に向いていない人はいないが、職場に合う・合わないはある

どんな職業でも、職場の環境(待遇、雰囲気、人間関係、風土や文化)こそが、合う・合わないを左右する。

社労士の仕事内容なんていうものは、特別才能やスキルがなくても、それなりに努力をしていけば、自然と身についていくものである(これは私が通う事務所の所長の意見)。

でも私が思うに、何より大事なのは職場の環境なのだ。これが肌に合わないと、どんなに好きな事でも嫌いになりえるし、通うのが億劫になり、最悪精神を蝕んでしまう。こうなれば、諸悪の根源は職場にあるはずなのに、「社労士に向いていない」と錯覚してしまうのだ。

職場環境を意識せよ!

100歩譲って「社労士に向いていない」としても、職場の環境がすこぶる良ければ、きっと社労士業が好きになり、「こんな素晴らしい世界だったのか!」と思うに違いない。

これも錯覚のひとつかもしれないが、こういう良い勘違いには、自分自身を高めていくエネルギーが秘められている。

子供の頃を思い出してみると、今よりははるかに、何事にもチャレンジしたものだ。赤ん坊が立とうとするとき、「失敗して怒られたら嫌だから立つのをやめとこ!」とか「今ミルク飲んだら後々胃もたれするかもしれないからやめとこ!」と思うだろうか??

・・・思わないだろう。下手すれば、そこら辺に落ちている銀紙やオモチャまで口にするんだぞ?

にもかかわらず、大人が「だめ!」とか「そんなことしたらバカになりますよ」とか教えるから、チャレンジ精神を失っていくのだ。

まあそれは極論かもしれないが、錯覚でも良いので、快く仕事ができる職場を見つけることが大切だ。

とはいえ、それが見つかれば誰も苦労しないんだけどね。。。

とにかく試験に受かった人には素養あり!

何はともあれ、客観的な指標としては、やはり試験に合格したかしていないかだろう。

社労士試験に受かった人は、皆、社労士になる者としての最低限の素養は備わっているといえる。

素質、ではなく、素養だ。

素質なんてもんは、実際に現場に飛び込んでみないとどうなるかは分からないので、鼻からあきらめる必要全くない。

ただ、、、。

「社労士になりたい」という思いが強い人は、かえって社労士の道から外れてしまう可能性が高いので、ひとつ参考までに知っておかれると良いだろう。

どういうことかというと、ある研究によると、やりたい仕事についた人のほうが、そうでない人よりも離職率が高かったそうだ。

それについては、「社労士になりたいなら、社労士受験をやめたほうがいいかもしれない理由」の中で詳しく述べているので、興味がある方は是非!

まあでも、社労士に向いている・向いていないとは別次元のお話ではある。

で、最後にあえて言うならば、どんなことがあっても夢の社労士像を追い求め続けられる しつこいくらいの初志貫徹な人ほど、とりわけ高度な専門性を要する士業というものと相性が良い気がする。