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新型コロナが収まる時があるとすれば、それは騒がなくなった時

今日はポジティブなニュースを目にした。

感染再拡大の兆候見られず、意識変容の成果か 宣言全面解除2週間(産経新聞)

このニュースに関して、Twitter等では批判的なコメントをする人が多い。「まだまだ分からない」「そうやって油断するから感染が広がる」といった意見もあり、たしかに一理あるのかもしれない。

でも私は思った。

新型コロナが収まる時って、いつのこと??

と。

さて、あなたはどう考えるだろうか。

・・・もし、新型コロナが撲滅された時が “収まる時” だとすれば、この将来、いつまで待ってもそんな時はやってこないのではなかろうか。

「新型コロナが収まらない限り、簡単には出歩けない」
「新型コロナが収まらない限り、マスクは必須」
「新型コロナが収まらない限り、平穏な生活はやってこない」

と考えている人は少なくないと思うが、そういう人は、死ぬまでずっと今の生活を続け、ストレスを溜め、経済を滞らせるつもりなのだろうか。将来、棺桶に入れられても、マスクと熱いキッスをし続けるつもりなのだろうか。

新型コロナは、おそらく、今後半永久的に残るか、変異して生き残っていくのではないか?という気がする。私はウイルス学者ではないので所詮は戯言だけども、もはや新型コロナを敵視するフェーズは終わりつつあり、これからは共存・共生の時代へと入るのではないだろうか。いや、入らなければならないと強く思っている。

もしこの先も新型コロナが生き残るのであれば、騒ぐ人は、この先延々と騒いでいなければならないことになる。まあ、勝手に騒いでいれば良いんだけどね。もちろん、自粛警察にならないという条件付きで。

そこで私は、新型コロナ “収まる時” というのは、新型コロナが滅ぶ時のことではなく、騒ぐマスコミや人々がいなくなった時、あるいは、ごく一部になった時であると考える。

そう、ウイルスの有無ではない。
収まるも収まらないも、要は人間の業なのだ。

ウイルスが生き残っていても、騒げば収まっていないことになり、騒がなくなれば終息・・・とまではいかずとも収束したと見ることができる。

終息=完全に終わること
収束=一定の状態に落ち着くこと(今回書いている「収まる」はこっちの意味)

インフルエンザも麻疹も風疹も、さらには、今となってはフツーの風邪である新型ではないコロナも、そりゃ新型だった頃には大騒ぎになったことだろう。

でも、それらはしぶとき生き残り続け、今でもしずしずと活動している。インフルエンザなんかは冬場に猛威を振るったりするが、ノド元過ぎればなんたら。

なのに新型コロナの場合は、まだまだそうはいかなそうだ。

私は微力ではあるが、あまりに悲観脳になってしまっている人が多いので、このような形で時々声をあげていこうと思う。なお、冒頭でご紹介した記事は、今回の私見を踏まえば、理想的な記事といえるのではないだろうか。