前回の「無」の解説
前回の記事「無」をお読みになっただろうか??
いきなりヘンテコな記事が出てきて、「なんじゃこりゃ??」と思った人もいると思う。
そこで今回は、その「無」について解説していきたい。
先に言っておくが、決してふざけているわけではない。大真面目だ。
・・・あ、笑ったな!
<話の流れ>
「無」は「無ではない」
禅問答のようになるが、「無」は「無ではない」のだ。
前回の記事のタイトル、よ〜く見ていただきたい。
「〜ここからあなたは何を読む?〜」
という副題が付いている。
つまり、何も書いてないように見えたかもしれないが、何かが書いてあったのだ。
とはいっても、文字列をコピーしたりドラッグしても、何も出てきやしない。そういうシークレットなことはしていない。一時期、ネットでは隠しテキストや隠しリンクが流行ったが、私にはそういう趣味はない(たぶん)。
じゃあ一体、そこには何があったのかというと、そう、やっぱり何も無かった。
何かが存在していたのは、記事上ではなく、あなたの心。
そう、あなたの心の中に、何かが書かれた。
そして、あなたの耳には何らかの音が聞こえただろうし、指も、何かしらの動きをしていたはずだ。
果たして、そこまで気付けただろうか??
感じることの大切さ
何も無いように見えても、そこにはあなたがいる。どんなに頑張っても、あなたはこの世界を見ている。
ブログを読んでいるときも、あなたはこの世界に身を置き、ありとあらゆる動きをし、ありとあらゆることを思考している。あなたの外界も、あなたに対して何らかの刺激を与え、あなたはそれを受けながら生きている。
「無」の記事では、それを体感していただきたかった。
感じることは大切なことだ。
目まぐるしく過ぎていく毎日。ストレスに溢れる忙しい現代社会。強い刺激や大きな承認を求める現代人。
たまには、感じることも必要だ。
感じるとは何か?というと、その答えはここには無い。あなたが思ったとおりに、好きなように、何かを感じればそれでいい。
是非、再チャレンジを!
「そう言われると、なんだか気になって仕方がない」という人は、もう一度「無」を読んでみてほしい。
できれば、時間をとり、ゆとりのある状態で再チャレンジしてほしい。瞬間的に見るだけでは意味がない。じっくり、じっくり、感じながら読んでみよう。
きっと、何かを発見できるはずだ。
ちなみに、真っ白な画面に自分の顔が映って見えるかもw まあ、それはそれでOK!
実は、私の不祥事がきっかけで書いた
「無」という記事を書いたのは、実は私の、とある不祥事がきっかけだった。
不祥事といっても犯罪とかではないが、仕事で、あってはならないことを引き起こしてしまったのだ。
※ 詳しくはまた述べたい。
幸い、私の人生に大きな影響はなかった(と思う)が、二度とあってはならないことだし、なにより、今後の職業生活上、かなりの痛手となりうる事態だった。
今回は、上司からの注意と始末書を書くだけで済んだが、それだけでは私自身の気持ちが収まらない。
というわけで、「無」という記事を書こうと思い至った。
もっと、私は精神的に成長せねばならない。そして、もっと色々感じられるよう、神経のアンテナを強化せねばならない。・・・そう思った。
まあでも、たとえあなたが不祥事を起こさなくても、「無」の記事はきっと役に立つはずだ。まだ見てもいないなら、早速今からGO!!
⇒ 「無」