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マスク着用による非言語的コミュニケーションの不足を懸念

昨日、興味深いニュースを読んだ。

◆裁判員裁判再開 “マスク拒否”で一時休廷
https://www.news24.jp/articles/2020/06/02/07654790.html

ごく簡単にまとめると、
裁判長が催促したにもかかわらず、弁護士2人がマスク着用を拒否し、裁判員裁判が一時休廷したというもの。

これについて、ネット上での反応を見てみると「マナーを守れ!」「マスクをしない不届き者!」「勉強はできても人間としては云々…」「裁判員の心象を悪くする」といった声があったりする。

一方、「法的根拠もないマスク強制は憲法違反」「拒否する権利はある」「非言語的コミュニケーションの重要性を考えさせられる」「メリットとデメリットの双方から考える必要がある」といった声もある。

さて、あなたはどう捉えただろうか?

捉え方は人それぞれであり、何が正しいとか間違っているとかは無いだろう。

私はというと、下記のような感想がパッと浮かんだ。

とにもかくにも、マスクをすること自体が目的となってきている今日この頃。マスクについては過去の記事で散々述べているのでここでは割愛するが、最近は特に奇妙すぎる。

また、私が気になるのは、非言語的コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)の不足である。

あくまで一説だが、 “メラビアンの法則” においては、
人がコミュニケーションをとる際、
言語情報(相手の発する言葉)から受ける情報は7%
聴覚情報(声のトーン、口調、大きさ、抑揚、テンポなど)から受ける情報は38%
視覚情報(顔の表情、視線、ジェスチャーなど)から受ける情報は55% とされている。

今回のポイントはずばり、視覚情報

視線やジェスチャーはマスクをしていても関係ないが、顔の表情、つまり口や鼻の動き、表情筋の動きなどは、マスクによって隠されてしまう。そうなれば、視覚情報の何割かは阻害されることになる。

日頃からジェスチャーをあまり使わない人(日本人に多いらしい)の場合は、より顔の表情の重要性が増すわけだから、マスクでの非言語的情報の不足は、相手とのコミュニケーションを鈍らせる大きな要因となってしまうのだ。

「新型コロナウイルスの感染拡大防止のためには、コミュニケーションよりもマスクが大事だ!」といった声もあるものの、コミュニケーション自体が無くなることはありえず、コミュニケーションによって社会・経済がまわっていることも忘れてはならない。

昨今は、ネットでの交流が増えたことで非言語的コミュニケーションが特に不足している。ネットでは言語情報(文字など)が中心。そう、言語的コミュニケーション(バーバルコミュニケーション)に慣れてしまっているのだ。

だからなおのこと、マスクによる非言語的コミュニケーション不足にも鈍感になりがち。メールやメッセージアプリで意思疎通ができてしまっているため、非言語的コミュニケーションの不足に気づく人も多くはないだろう。

ITの発達は喜ばしいことではあるが、もっともっと非言語的コミュニケーションの良さに気づき、積極的に表情を見せていきたいものである。とりわけ、重大な事を会話したり議論したりする際には、非言語的コミュニケーションが重要だろう。会話には合理性も大事だが、人間の行いである以上、非言語は避けては通れない。

・・・以上、「頭が堅いなあ」と思った人もいらっしゃるかと思う。たしかに、非言語的コミュニケーションにこだわりすぎるのも良くない。そもそも “メラビアンの法則” は、「話し相手の発した言葉と態度が一致しないときの、言語情報、視覚情報、聴覚情報の重要視割合」であるため、どんな状況でも通用する法則とは言い難い。状況によって割合が変化するはずだ。

ただ、非言語的コミュニケーションが0で良いはずはない。顔の表情が円滑かつ正確なコミュニケーションに貢献していることは、体感的にも疑う余地がないのだ。

前にも何度か申し上げているが、マスクを否定するつもりはない。
だが、マスクを妄信する人が非常に多く、しかも常識化・茶番化している世の中。もう少し冷静になったほうがよろしいのではないだろうか。