餃子屋の件、ホリエモンの言い分が分かりみ深い
「どこぞのどいつが偉そうに」と思われるかもしれないが、まず、餃子屋の店主およびご家族の方には、心から労りの言葉をおかけしたい。
私もかつて、自営業というかフリーランサーだったので、ひとりで経営をしていく大変さというのは身に染みて分かる。また、元社労士事務所所員だったため、顧客は事業主ばかりたった。だから事業主の苦労もちょっとは分かっているつもりだ。
今回の餃子屋の件では、店主やご家族は救われてほしいし、救われべきだと思う。
それを大前提にしてお話しすると、ホリエモン(堀江貴文さん)の言い分も、分からなくはない。というより、分かりみ深い。
たしかに、店側には客を選ぶ権利がある。客と店の個人的な自由契約のお話だ。だから、「マスクをしていないなら入店拒否」というのは、特に問題はないだろう。
だが、いくら法律云々を持ち出しても、今回の件は主に感情に偏ったお話であるから、意味がない。法律的・論理的にいくら正しくても、人間というのは感情で動くもの。しかも、論理すら、人によって価値観や解釈が異なる以上、論争は平行線をたどることになる。論破とかも無意味だ。議論するつもりもない。
なので、今回の話は、単なる私のグダグダ話です。私のブログなので、好き勝手述べていく。
世間を眺めていると、今回の件は餃子屋の感情に寄り添う声が多い。そりゃそうだ。結果的に休業に追い込まれてしまったのだから。
対して、ホリエモンの言い分に共感する人は、思いのほか少ない。彼は、単純に、マスクしますという前提で、「食べてる時以外ずっと着けないとダメなんですか?」と質問をしたにすぎない。マスクをしていなかったメンバーも、マスク着用を拒否したわけではないそうだ。
さて、私が店主ならどうするか。
きっと質問に答えるだろう。「はい。うちでは、食事の時以外はマスクしていただいております」とか「基本的には着用していただきたいのですが、着用できない理由の如何によっては、無しのままご入店いただけます。差し支えなければ、理由をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」という感じで。
・・・あ、今あなた、「めんどくせえ」って思いませんでした??
思ったでしょ。。w
まあ、日頃、質問をすると嫌な顔をしたり、まともな答えを答えてくれない人は、けっこう多い。何か後ろめたさでもあるのだろうか。政治家とかにも、一点張りの返答や、論点ズラしが多い。
そういうのを見ていると、非常にモヤモヤするし、愚痴のひとつやふたつ、言ってしまいそうになる。
ちょっと私事になってしまうが、以前、仕事で「コレなんだけど、綺麗に干しておいてね」と言われたことがある。
でも私は、その “コレ” について、単なる共用の台拭きだと思っていた。一方別のタオルは、Aというお偉いさんが使うことになっていた。そのため、Aさん用の当該タオルについては、さすがに私も綺麗に扱っていた。
だから私は咄嗟に「はい分かりました。でも “コレ” は、タオルと同様にAさんも使われるんですか?」と尋ねた。
そしたら何と返ってきたか。
「そうだよ」とか「違うよ」といった返答ではなく、「みんなで使うもんだから!」としか言わなかった。しかもなぜか怒り口調で。。
うーん、質問に対する答えになっているようななっていないような、、、。
すごくモヤッとした。
前にいた職場でも、「XのタスクとYのタスクの優先順位について、どう判断したら良いでしょうか」と上に相談したところ、「ヤル気がないからそういう発言をするんだよな?どっちもやれよ」という答えが返ってきた。
これも、モヤッを通り越してイラッとしたくらいだ。全然答えになってないもん。
そしてなぜだか、私は上記のような経験が割とある。これは私が悪いのか、相手のほうこそ穿った見方をしているのか、どっちなんだろう。
家族ですら、「こんな夜になんでアイスクリーム食べるの?」と訊くと「ちょっとだけ」とか「安かったから」とか、変な答えが返ってきたりする。
ともかく、今回の餃子屋とホリエモンの件を受け、そういった諸々を思い出した。だからこそ、ホリエモンの言い分は分かりみ深い。
P.S.
ホリエモンを批判する人の中には、心理学でいうところの「投影」をしている人がいるだろう。
つまり、本当は自分もホリエモンのように自由に生きたいのに、世間の批判を恐れ、その気持ちを封印している。でも、その封印しているもう1人の自分が、ホリエモンとなって投影される。だから、ホリエモンを封印しよう(黙らせよう)と躍起になる。。
平たく言えば、僻みのようなものかも。