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社労士試験に受かった身でも、労務や社会保険についてよく分かっていない危ない人=私

社労士試験に合格したとき、親や友人は「すごい」と言ってくれた。その後も、友人は「ほんとよく受かったね」と言ってくれるし、知人も陰で「優秀だ」と褒めてくれたりしているそうだ。

正直、気持ちがいい。人に褒められるということは、何歳になっても嬉しいものだ。

だが、そんなことは重要ではない。たしかに簡単な試験ではなかったが、受かっただけで褒められて喜ぶ私は、まだまだ幼いと言わざるを得ない。本当に褒められて喜ぶべきは、一人前の社労士として活躍し、多くの人々を救ったときだ。

私は、ただ試験に受かっただけの身。

社労士試験も、実をいえば、ほとんど暗記のゴリ押しと少しの思考力(という名の勘みたいなもの)や心理作戦でクリアしたにすぎず、法律やルールの原則や本質を理解できていたわけではない。独学だったので、独り善がりな点も多かっただろう。

1年目の挑戦は不合格だったが、暗記しまくっただけだったので、落ちて良かった。選択式の健保であと1点あれば受かっていたが、後々、落ちたことに安心すらした。2年目の挑戦は無事に合格だったが、これもまたほとんど暗記のゴリ押し。本来なら、落ちていなければならないだけの実力だったと思うが、合格して “しまい” 、宙ぶらりんな状態で社労士業界で活躍しようと考えてしまった。

きっと、何年も挑戦した末に合格を勝ち取った人なら、本当の実力が身についている。なのに私ときたら、合格しただけで得意顔をし、人から褒められて、内心馬鹿みたいに喜んでいた。

実際、社労士事務所に勤めてからは、自分の知識の無さ、思考力の弱さ、法律の背景の知らなさ、体系的な論理力の欠如など、ありとあらゆることを痛感した。私の上司は、私が社労士試験合格者という前提で教育を施したが、私は頭が追いつかなかったし、何度か「試験には受かってるんだよね?なのに…」と言われた。

その上司は、多くは語らなかったものの、どうやらかなり深く勉強し、合格までも何年かかかったようだった。そのためかどうかは分からないが、まさに「賢い人」だった。顧客や所長から頼られ、労務オタクと称されるほどだった。

そういえば、ある社労士試験専門の塾の講師も、私と同じことを言っていた。というか、その人の意見で、私のモヤモヤがハッキリしたというべきか。彼は、動画で、一発合格した人は本当の実力が無い…みたいなことを言っていたのだ。どの動画だったかは忘れたが、一理あるなと思った。なぜなら、自分は1年目のチャレンジで、生半可のまま一発合格してしまいそうだったから。

社労士事務所での勤務では、結局最後まで勉強不足を指摘された。きちんと勉強しなかった自分も悪いのだが、結局は法律や制度の本質が分かっておらず地盤が緩く、日々の知識がなかなか肉とならなかった。また、実務日記に書いたようにイザコザも多く、気がまわらなかったのもあった。

それと、私が社労士になりたいと思った動機は、やはり人々をサポートしたいという思いもあったが、誇らしげでいたいとか、せっかく勉強してきたんだからとか、そういった不純な気持ちもあった。だから余計に、試験合格後のさらなる勉強への意欲が湧かなかったのだろうし、色々思い悩む羽目となった。

気合いや根性で社労士になったり、不純な動機で社労士を目指し始めたりした人でも、業務に携わっているうちに楽しくなる人もいるかもしれない。私も、やや面白いなあと感じることはあった。

ただ、私が社労士になるのは、どうしてもイメージできず、その意欲すら薄れていた。

「私のなりたい姿は、社労士なんかじゃない」

そう思うようになったのだ。

中途半端な状態で試験に合格し、社労士事務所に入っても不出来であった私は、いまだ、日本の労務や社会保険について、詳しくは知らない。元々社会科は苦手科目で、あまり好きでもなかった私だ。日頃から社会保障制度や労働問題が好きな人のほうが詳しく語れるだろうし、年金のことなんて、たぶんお年寄りの方のほうが詳しいだろう。それくらい、自分の頭には生きた知識が備わっていない。あるのは、機械的にインプットされた知識。それも、ちょっとメンテを怠ればすぐにサビつく・・・。

以上のような後ろ向きな発言を堂々としてしまう輩(私)は、社労士になる素質はない。このままゴリ押しで社労士になっても、ある意味危険ですらある。

結局私は転職するので、今はもうスッキリしている。社労士界隈とは距離を置くことで、また何か新たな気づきがあるかもしれない。